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田中邦衛の若い頃【画像】代表作や名言・エピソードから振り返る

俳優・田中邦衛さんの訃報が発表されてから2日経過しましたが、数々の作品で存在感を放った名優の旅立ちに多くの方が今だ悲しみに包まれています。

 

今回の記事では、語り継がれる田中邦衛さんの俳優人生を若い頃から振り返ってみようと思います。

 

田中邦衛の若い頃 養成所~デビュー作

 

田中邦衛さんは劇団俳優座のオーディションを受け、3度目にして1955年に俳優座養成所への入所が決まりました。オーディションを受けた人数が47名に対し、合格したのは田中邦衛さんを含めわずか3名だったとか。

 

それからわずか2年後には今井正監督がメガホンを取った映画『純愛物語』で映画デビューを果たします。

 

デビュー当時からアクの強い風貌だった田中邦衛さんは、その後もチンピラや殺し屋といったクセの強いキャラクターを見事に演じ、以降似た役柄での起用が増えていきます。

 

 

垂れた眦の奥にある瞳の力強さがとても印象的です。

 

田中邦衛の出演作品 若大将~仁義なき戦い

 


1961年、田中邦衛さんは東宝映画の『大学の若大将』にて若大将のライバル・青大将を好演。敵・悪人といったおおよそ褒められた人物ではないのに、どこかコミカルで憎めないキャラクターは田中邦衛さんのハマり役となり、以降若大将シリーズになくてはならない存在となりました。

 

その後も出演作は順調に増え続け、1965年のテレビドラマ『若者たち』では、両親を失った5人兄妹の長男・佐藤太郎を演じました。

 

家族思いで時に熱く、時に優しい佐藤太郎の演技が評価され、第22回毎日映画コンクール男優主演賞に輝きました。

 

 

『若者たち』と時を同じくして、この頃からヤクザ映画の需要が増えていき、『網走番外地シリーズ』では高倉健さん演じる主人公・橘真一を慕う舎弟の大槻を演じられました。

 

 

 

1971年頃もヤクザ映画ブームは続き、この頃から始まった『仁義なき戦いシリーズ』ではこれまで演じたコミカルな悪役とはうって変わり、ずる賢いヤクザ・槙原政吉を演じたことで、東映映画のバイプレーヤーとして一層活躍の場が増えていきました。

 

 

田中邦衛の代表作 北の国からと劇中の名言

 


俳優・田中邦衛の名前が一躍全国に響き渡った名作といえば、1981年開始のテレビドラマ『北の国から』です。

 

妻に逃げられ、東京に嫌気がさした2児の父・黒板五郎と息子の純・娘の蛍との心温まる物語は大きな反響となり、平均視聴率は14.8%を記録する大ヒットとなりました。

 

北の国からの脚本を担当した倉本聰さんが黒板五郎のキャスティングをする際に最もこだわった点は『情けなさ』だったと言います。

脚本家・倉本聰さん:「邦さんは『北の国から』に出るまでは、若大将シリーズの青大将が代表だった。割とオーバーな演技で喜劇が得意だったが、喜劇の笑いの出し方が全然違ってた気がした。『北の国から』のキャスティングをお願いした時に、何人か候補がいたが、候補の中から誰がこの中で一番情けないだろうと議論して、異口同音にみんなが『邦さん』と言って決まった。僕の中にいた黒板五郎のテーマは、男ってのは何か真剣に真面目やればやるほど、どこかで矛盾が出てくるものだと。そのことを僕は邦さんに託して、人生をアップで見ると悲劇だけど、ロングで引いてみると喜劇だっていう言葉があるんだけど、そういうものを邦さんにあてにして狙った。ものの見事にそれを演じてくれた。そういう意味だと、あの人と高倉健さんだけだったんじゃないかな」

(テレ朝ニュース)

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不器用で情けなく、それでも家族を第一に考える黒板五郎のキャラクターは、田中邦衛さん以外の方では演じられなかったのですね。

 

ここからは、黒板五郎が北の国からの劇中で発した数々の名言を振り返ってみたいと思います。

 

黒板五郎名言集

  • 「人が信じようと信じまいと君が見たものは信じればいい」
  • 「もしもどうしても欲しいもンがあったら――自分で工夫してつくっていくンです。つくるのがどうしても面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです」
  • 「疲れたらいつでも帰ってこい。息がつまったらいつでも帰ってこい。くにへ帰ることは恥ずかしいことじゃない。お前が帰る部屋はずっとあけとく。布団もいつも使えるようにしとく」
  • 「つまり――世間的にはよくないかもしれんが少なくともオレには――父さんに対しては――申し訳ないなンて思うことないから。何をしようとおれは味方だから」
  • 「人にはそれぞれいろんな生き方がある。それぞれがそれぞれ一生けん命、生きるために必死に仕事をしている。人には上下の格なンてない。職業にも格なンてない。そういう考えは父さん許さん」
  • 「(明るく)人に喜んでもらえるってことは純、金じゃ買えない。うン。金じゃ買えない」
  • 「暖房やクーラーをがんがんつけた部屋でエネルギー問題偉い人論じてる。ククッ。あれ変だよね。そう思いません? ククッ。ナアンチャッテ」
  • 「おかしいっていやお前、まだ食えるもンを捨てるほうがよっぽどおかしいと――思いません?」
  • 「悪口ってやつはな、いわれているほうがずっと楽なもンだ。いってる人間のほうが傷つく。被害者と加害者と比較したらな、被害者でいるほうがずっと気楽だ。加害者になったらしんどいもンだ。だから悪口はいわンほうがいい」
  • 「金なんか望むな。倖せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度に充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」

(Yahoo!ニュースより抜粋)

 

素朴さと人情、そして黒板五郎の哲学が混ざった名言の数々。じんわりと心に沁みてきますね。

 

次の項目からは、田中邦衛さんのお人柄がうかがえる数々のエピソードをご紹介します。

 

田中邦衛のエピソードまとめ

 

生前の田中邦衛さんは素朴で人情味あふれるお人柄から、沢山の方から慕われていたといいます。素敵なエピソードをご紹介しましょう。

 

元産経新聞記者・田中宏子が見た田中邦衛さんの素顔

  • オーストラリアのタスマニア島でのロケで、田中邦衛さんは『撮影現場が大好きなんだ』と話した。その理由を『スタッフの子たちなんて安い手当で安い弁当を食いながら、いい汗を流してる。みんなすてきな顔をしてるし、すてきな心をしてるんだよね』と語った。
  • 俳優になる前に英語の代用教員をしていたが、『英語のセリフが子役よりヘタだといわれちゃった
  • 『電車の中で突っ立ってたら、髪の毛を真っ茶色に染めた若い男がオレのほうに来るんだよ。それでさ、「おじさん、ひょっとして純くんのお父さん?」だって。うれしいよね』

 

富良野市の料理店「くまげら」の店主・森本毅さんの証言

  • たら汁、おにぎり、焼き魚をよく頼んだという田中邦衛さん。森本さんは「帽子にジャンパーというドラマからそのまま出てきたような素朴な姿が印象的だった」と語る
  • 森本さんは当初、田中邦衛さんを「くにさん」と呼んでいたが、ドラマのイメージが勝り、以降「五郎さん」と呼ぶようになった。

 

ロケ現場の木材会社従業員・仲世古善雄さんの証言

  • 田中邦衛さんはバス停で地元住民と和気あいあいと話している姿が印象に残っているとのこと

 

ロケ隊や俳優陣の受け入れ窓口を務めた峰廻賢さんの証言

  • 峰廻さんはご自宅に田中邦衛さんを招き、近所の方々も交えて食事をしたことがあり、「気さくで友達も多かった」と話している

 

 

調査を重ねれば重ねる程、その飾らないお人柄の魅力が分かり、大変惜しい方が亡くなったのだと実感させられますね。

 

 

まとめ

 

今回の記事では、俳優・田中邦衛さんの若い頃から代表作、北の国からの名言やご本人のエピソードを振り返ってみました。

 

改めて、心からお悔やみ申し上げます。

 

それでは、最後までご覧いただきありがとうございました!

 

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